新潟県小千谷市若栃。小千谷市出身・埼玉在住の私がなぜここを訪れたかというと、名前だけ聞いた事のある若栃という地域が、何だかものすごく盛り上がっている事を知ったからです。私が知らない故郷の片隅が、どうなっているのか知りたいと思ったのです。
若栃集落は戸数30、人口わずか90人程の集落。集落を訪れたのは、年の瀬も迫る12月初旬でした。
今回取材したのは、若栃でしめ縄を生産販売している「しめ縄工房若栃」。取材当日はしめ縄作りも佳境に差し迫ったところを快く迎えて下さり、代表である細金幸一さんにお話を伺いました。
若栃集落で「しめ縄」づくりが始まった理由
若栃は山々に囲まれ、棚田と家が共に存在している集落です。小千谷市の中でも豪雪地帯の若栃集落では、標高差200メートルの棚田で美味しいお米が育てられています。
なぜこの若栃集落でしめ縄づくりが盛んに行われているのでしょうか?こちらでは、若栃集落でしめ縄づくりが始まった理由や「しめ縄工房若栃」について紹介します。
もう一度この集落で、しめ縄作りを始めよう
若栃集落でしめ縄が本格的に作られ始めたのは、2004年の中越大震災以降です。
震災前には、地域のお年寄りたちが小規模ながら生産し、集落にある個人宅や小千谷にある道の駅で販売をしていました。しかし、震災後お年寄りたちのグループが活動ができなくなり「若栃未来会議」がしめ縄づくりを引き継ぎました。
若栃未来会議とは、2004年の中越大震災がきっかけで元気がなくなっていた村を取り戻そうと、地元の有志で結成した団体です。若栃未来会議が活動を検討する中で、しめ縄が話題の一つに上がり、存続させる方向で話が一致しました。
集落みんなの協力でしめ縄作りが復活した
「若栃未来会議」が活動を始めると、稲を育てるための田んぼを貸してくれる方など、協力者も数多く現れました。周りの人達の支援や前向きな声がきっかけとなり、この地域で作られていたしめ縄作りが再び復活する事になったのです。
しめ縄づくりの活動は年々発展しており、現在は「しめ縄工房若栃」として活動をしています。代表の細金さんは「お酒を交わしていた場で仲間達に後押しされ、いつの間にか代表になっていた」と笑って話してくれました。
メンバーは60代を中心に15人程で、全員がこの若栃に暮らす住民です。メンバーの中には貴重な20代の若い方も交わり、様々な年代の方が一緒にしめ縄作りを行っています。
若栃集落のしめ縄の魅力とこだわり
若栃集落のしめ縄には、使っている素材、技術など様々なこだわりがあります。こちらでは、若栃集落のしめ縄のこだわりを紹介します。
「しめ縄工房若栃」の職人さんによる「輪じめ」の作り方を関連記事の「【写真13枚で解説】しめ縄(輪じめ)の作り方!プロ直伝の技を大公開」で紹介しています。こちらもぜひご覧ください。
しめ縄を作るため、稲を育てる
まず私が驚いたのは、しめ縄に使用する藁(わら)を、お米を搾取した後の余ったものではなく、専用に育てた稲を使っていることです。
稲は「みとらず」と言い、茎が青々して柔らかく、しめ縄用に広く使われている品種なのだそうです。稲の栽培からしめ縄の生産までを一貫して行っている例は少なく、しめ縄工房若栃のこだわりを感じます。
稲は春に食用のお米と同じ様に田植えをし、穂が出る前の夏真っ盛りの7月に穂が出る前に青刈りをするそうです。通常の稲刈りのようにコンバインを使うと藁がバラバラになってしまうから「バインダー」という手押しの機械を使って丁寧に刈り取るためとても手間がかかります。
稲刈りの際には田んぼの土を乾燥させる為に、7月半ばから田んぼの水をぬきますが、細金さんは「雨が降ったら稲刈りが大変なんだよ」と教えてくれました。
刈った稲を天日干しはせずに、専用の機械で乾燥することで、藁の青さを保てるそうです。乾燥後は、しめ縄作りが始まる10月末まで、シートを被せて色褪せないように丁寧に管理と保管を行っています。しめ縄になるまでのお話を聞いただけでも、想像を上回るものでした。大切に藁を育て、扱う姿がうかがえました。
地域のお年寄りから伝授された職人たちの技
そしてなんと言ってもしめ縄工房わかとちの強みは、職人たちの技術です。元々、集落でしめ縄づくりを行っていたお年寄りから伝授されたという技は、年々磨きがかかっています。
取材で工房におじゃました際には、職人の手さばきに見入ってしまいました。私が工房でひときわ目に留まったのがこちらの男性。
今回宿泊した農家民宿「おっこの木」でお世話になり、集落のあれこれを親切に教えてくれた渡部むつ子さんのご主人の敏一さんでした。私たちがそばで見ている時も、いつもと変わらないであろうと思われる姿でひたすら縄を編み続ける渡部さん。黙々と手を動かし、丁寧に編んだ縄の長さを時折確認していました。
また、取材対応してくれた細金さんには、縄ないを実際にみせていただきました。縄ないとは、藁をより合わせて縄を作ることです。じっと見つめていても、その瞬間、瞬間、手のひらの中で何が起きているのか、わからない早業です。
藁を一本づつ足していき、あっという間に一本の縄が完成しました。その早さにびっくり。そして美しいだけでなく、しっかりとした丈夫そうな縄が仕上がっています
簡単に誰でも真似できる事じゃなく、これは相当な時間と経験を重ねてようやくできるようになる技そのもの。細金さんは「子どもの頃から編んでいたからね」と話してくれました。昔は稲刈りが終わると、その藁を使って物作りをしていたそうです。
全てが若栃産の材料
しめ縄の仕上げに飾られるものにも注目です。工房では、女性の方々による「輪じめ」の仕上げをみせていただきました。
仕上げに使われていた材料は「松」「梅もどき」「豆殻」の3つ。「梅もどき」という小さい梅干しのような赤い実、そして「豆殻」とは大豆を収穫した後に出る殻のことです。これを一つにして差し込み、こちらで作った白い紙の紙垂(しで)を垂らします。そして稲穂を最後に飾って完成です。
仕上げに使われた3つの材料は、全て集落で採れた物です。この土地の恵みがぎゅっと凝縮されていると感じます。
生活に欠かせなかった藁、暮らしの中で受け継がれてきたもの
現代は藁を使った道具はほとんどありませんが、細金さんは「昔は稲刈りが終わると、藁を使ってものづくりをしていた」と言います。若栃集落の古民家民宿「おっこの木」の入り口には、昔使われていた蓑(みの)や藁ぐつなどが飾られていました。
思い出してみると私の実家の父は、雪おろしの時に藁でできた笠を頭に被っていました。その姿が、冬の風景として今でも記憶に残っています。昔は、米作りを終えた冬の農閑期には、藁を使ったわらじや蓑(みの)など生活に欠かせない衣料品を作っていたのでしょう。
昔の農村では傘をさすことはほとんどなく、雨の日でも蓑と笠を用いていたそうです。蓑は防雪、防寒などとしても使われてきたそうで、傘をさすと手が塞がってしまい仕事ができません。藁を無駄にせず、あるものを使い自分たちの暮らしに必要なものをこしらえてきました。
箕や笠は暮らしの必需品であるため、壊れないよう丈夫に作られています。その手先の器用さに驚かされてしまいます。
人がいて、楽しくやって、美味しいお酒が飲めればそれでよし!
細金さんに、今後の工房をどのようにしていきたいか尋ねました。
「ここは地域のみんなで楽しくやっている場所。人がいて、儲けは二の次!それが流儀だよ」と話をしてくれました。確かに「こんなに手間暇かけたしめ縄がこの価格でよいのですか?」という良心価格なのです。
稲刈りが終わり、農家の仕事が一旦長い休みに入るこの時期。けれども、ここではそれぞれの持ち場があり、地域で生きる皆さんにとっての「やり甲斐」だったり「生き甲斐」だったり…。そんな場所であるようにも感じました。
丹精込めて稲を育て、地域で採れた物を生かしたしめ縄。他では真似できない、ここでしか生み出す事ができないまさに一点もの。そして受注から販売など、最初から最後まで一貫して自分達の手で行っています。
細金さんは「仕事を終えて最後に美味しいお酒が飲めればそれでいい」と笑いながら話します。一年の最後に、皆さんと一緒に飲むお酒は間違いなく美味しいでしょう。そんな姿が目に浮かびます。
朝から始めていたしめ縄作りは、午前中に一旦手を止めてお茶飲みタイムの始まり。ただ作っているだけじゃつまらないからね、とおっしゃっていました。
お茶を飲みながら、村のあれこれ色々な話を聞いていると藁を乾かす為の乾燥機の調子が悪い…との話題に。事務局の阿部さんに「何かいい知恵ないかな?」と尋ねている姿が。自分たちの課題をオープンにして、知恵を持ち寄る。
地域の住民の方だけでは行き詰まったり、どうにもならない事を、外からの力も借りながら前に進んでいる。そんな風に感じました。
小さなところから大きなものを生み出している若栃集落
私の知らなかった故郷小千谷の片隅にある若栃という集落。雪が深く、近くにスーパーも病院もなく一言でいうならば不便な場所に違いはありません。けれどここで出会った皆さんは明るく力を合わせて、小さなところから大きなものを生み出しているように感じました。
若栃でいただいたしめ縄を手にすると、のどかな山の風景、しめ縄工房の皆さんの笑顔が思い出されます。私にとってお正月だけでなく、ずっと飾っておきたい大切なものになりました。皆さんも新しい一年の始まりに、実り多き幸せな一年であるよう、それぞれの思いを込めたしめ縄を飾ってみてはいかがでしょうか。