「最近お米って高くなったよね」「猛暑が続いて、米の品質が…」
2024年から2025年にかけて、日本の中でもある意味“話題沸騰”となった米の問題。
令和の米騒動ー
そんなふうに揶揄されることもあり、私たち日本人にとって切っても切れない話題として、今も日々のニュースや会話に登場しています。
「お米が高くて買えない」そんな見出しを目にする機会も増え、一体いま、米の市場では何が起きているのだろうと、次第に気になるようになりました。もともと自分は、衣食住の中でも特に“食”に重きを置いている人間です。野球部時代から、とにかく食べ続けてきたお米は、食卓にあって当たり前の存在でした。
そんなふうに米への関心が少しずつ高まっていたのが、2025年の春。縁あって別の地域ではありますが、田植えや収穫を体験する機会があり、そして今回、新潟県小千谷市で開催された「おぢや棚田米コンテスト」に、特別審査員として参加することになりました。
ツアーへの参加、そしてメインの役割である米の審査。その2日間を通して、自分の中でお米への解像度がさらに上がっていく瞬間がいくつもあり、この記事では、その体験前後の変化を軸に、小千谷の棚田地域と棚田米コンテストの魅力を綴っていきたいと思います。

米と日本人?いや、米と私。

導入で触れた「社会の中の米」から、ここでは視点をぐっと自分自身に引き寄せてみます。
自分にとって米は、長いあいだ“味わうもの”というより、“欠かさず摂るもの”でした。野球部時代、練習後にかき込むように食べていた白米は、空腹を満たし、体を動かすためのエネルギー。
その香りや食感、生育から収穫、発送を経て食卓に届くまでの背景に思いを巡らせる余白は、ほとんどなかったように思います。
引退後も米は日常の中心にあり続けました。
ただ、その存在はあまりにも近く、意識の外にあり、炊けていて当たり前、食卓に並んでいて当たり前。だからこそ、価格や品質の話題がニュースとして流れてきたときに「なぜ?」の疑問を抱くようになりました。
今回、小千谷で米と向き合う中で感じたのは、その“当たり前”がいかに多くの工程や人の手の上に成り立っているか、またそれらを評価する品質(外観・味・食感など…)がどのように評価されているのか。
“美味しい”って思えることは当たり前じゃありません。
もしかしたらお米が当たり前すぎて“美味しい”と思う前に、無意識な人も多いのではないでしょうか。
美味しくて当たり前、無意識に食べられる。
その裏にはそれらを実現するための労力があるはず。
背景を知り、風景を見てから口にした一口の重みは、これまでと感じるものが違うように思います。
ここから先は今回の審査員としてであった風景とその時の感情をまとめていきます。
ツアー|伝統とは、“いま”も積み重なり続けていること

小千谷って、本当にコンテンツが強い。
現地を巡って、最初に感じました。
ここでいう“コンテンツが強い”は人が訪れる理由の多さです。
これは町の方々が今までの歴史を紡ぎ、時代によってその時のアップデートを行ってきた賜物だと思います。
- お米(棚田)
- 錦鯉(にしきごい)― 泳ぐ宝石の発祥地
- へぎそば ― 布海苔がつなぐ独特の喉ごし
- 小千谷縮(おぢやちぢみ)― ユネスコ無形文化遺産
シーズン性のあるイベントたち
・牛の角突き
・片貝まつり(世界一の大玉花火)
・おぢや風船一揆 etc…
▽詳細はこちらをぜひ
参考:新潟県 小千谷市 観光ガイドブック









今回のツアーが終わった時に思ったのは「もっと小千谷を摂取したい」、
そんな思いでした。
棚田見学、へぎそば、そしてお米の生産をおこなっている若栃集落での会話。クラインガルテンという滞在型農園での取り組み、最後に農家民宿 新助で過ごす時間。
こうして並べてみると、初日のみでその数や幅に驚かされます。ツアーを通して感じたのは「多い」というよりも、「すべてが地続きでつながっている」という感覚でした。
それぞれが単体で存在しているのではなく、土地の特徴から暮らし、人の営みが一本の線で結ばれているように思えました。
そして会話を積み重ねるほどに湧き上がる思いが、“また来たい”という感情。
この時期にはあれがあって、別の時期にまた別の営みがある。そうしたコンテンツの厚みと出会った人たちの暖かさがあるからこそ自然と生まれた感情だったのだと思います。
今、このように思えるものが残っているのは、その時代を生きる人たちが、伝統を大切にしながら、状況に応じたアップデートを積み重ねてきた結果です。
積み重ねられてきた伝統と魅力が、“いま”もなお更新され続けている。そのような思いを抱くツアーでした。
コンテスト|どの米も最高に“うまい”

外観・味・食感ー
それらのお米のポイントを人生で一番意識した時間でした。
上記の審査項目を基に、一次審査を勝ち抜いた10品が最終選考に並びます。
コンテストの詳細はこちらを参照ください。
参考:第2回 おぢや棚田米コンテスト
会場:ホントカ。


もちろん、お米の炊き方や水分量によって、評価ポイントである食感などは大きく左右されます。
今回、その「炊く工程」にも立ち会わせていただきましたが、お米を研ぐ回数、水分量、炊飯条件、すべてが統一されていました。
どの農家さんがどのお米を作ったのかはもちろん一切知らされていません。
評価されるのは、名前ではなく、目の前の一粒一粒だけです。




正直に言うと、最初は戸惑いのほうが大きかったです。
外観、味、食感。
頭では理解していても、「評価する」という視点で、ここまでお米と向き合った経験は、これまでほとんどありません。
一口ごとに、香りを確かめ、噛みしめ、舌触りを探る。
美味しいかどうかではなく、どう美味しいのかを言葉にしようとする時間。
それは、普段の食事では、あまり立ち止まらない感覚でした。
そして何より印象的だったのは、
この場に並んでいるお米が、どれも「本当に美味しい」という事実です。
事前に配布されたパンフレットには、各農家さんが今年向き合ってきた苦労や、仕上がりに対する率直な思いが綴られていました。
猛暑や天候不順など、私たちにはコントロールできない自然と日々向き合いながら育てられたお米。
その背景を知ったうえで口にした一粒一粒は、
単なる「白米」ではなく、それぞれの時間と選択の積み重ねそのものでした。
棚田で育った一粒、小千谷で過ごした二日間

全体を通してこの2日間、お米一粒一粒と、ここまで真剣に向き合う時間は、これまでの人生でほとんどなかったように思います。
それは、審査員として参加したからこそ得られた、稀有な体験でした。
今回、私は初めて新潟県小千谷市を訪れました。
初日の棚田地域を巡るツアー、そして翌日の棚田米コンテスト。
そのどちらもが、単なる「見学」や「イベント参加」ではなく、
お米が育つ背景や、人の手が重なっていく過程を、自分自身の感覚として受け取る時間だったように思います。
ニュースとして眺めていた「お米」は、
この2日間を通して、暮らしの中で向き合う存在として、より意識の中に浸透していきました。
棚田という環境の中で育てられたお米。
それを守り、磨き続けるための棚田米コンテストという取り組み。
どちらも、未来に残していくために必要な“いま”の営みなのだと感じています。
これから先、食卓に並ぶ一杯のごはんを前にしたとき、
小千谷で見た風景や、あの日の体験をきっと今後も思い出すはずです。

小千谷駅の錦鯉に別れを告げて帰路につきました。
写真・執筆:倉本 達樹
https://www.instagram.com/tkpho_to/


